『大津駅周辺を探検! 大津に鉄道がやってきた頃』国鉄編 by.yume
2016.12.02
おひさしぶりです。
ボランティアライターのyumeです。ご無沙汰でした♪
大津市中心市街地活性化協議会主催主催の「大津まちあるき」 『大津駅周辺を探索!! 大津に鉄道がやってきたころ』 に参加。
鉄道好きの私は、既に歩いたコースですが、“何か新しい発見があるかもしれない”と、わくわくする気持ちいっぱい、それが大正解。自分のモノにするには繰り返しの学習と、さらなる好奇心が大切なのだと思いました。
盛りだくさんの内容でしたので、今回は「国鉄編」とします。
大津駅集合。
10月にリニューアルオープンした大津駅は1975年竣工の三代目駅舎。
二代目駅舎を知っている世代の私。三角屋根のかわいい駅で待合室にはベンチが何列も並び少し暗めの駅舎でしたが、それが重厚感を醸し出していたとも言えましょう。
掲げられた写真は、三代目駅舎工事中のもの。
現在の駅舎よりやや西側にありました。
現駅舎の右端に 駅南側との自由通路があるのですが、実はここが二代目大津駅での改札口とホームを結ぶ自由通路でした。
通路を歩くと頭上に空間。ここはホームへ通じる階段があった場所。
おわかり頂けるでしょうか。
何度となく 旧大津駅の通路だと意識して通った事があるのですが、階段跡を見たのは今回が始めて。 さすが、やはりガイド付きツアーは違います♪
しばらく進んで、通路を抜けようかという手前に「1976 11」の文字。
これは、1976年三代目駅舎開業後に作られた部粉であるという覚書のようなものです。
現在の東海道本線は京都から大津ー膳所ー石山ー草津 と走っていますが、1880年(明治13年)に大津ー京都間の鉄道が開通した時には、京都~「馬場駅(現在の膳所駅)」~「大津駅(現在の京阪電車浜大津駅)」を走っていました。
1921年(大正10年)に現在の新線が開通。
旧線の線路敷は1950年(昭和25年)に国道1号として利用されるようになりました。
通路を出ると、少し高い位置に通る国道1号線と、JRの線路にある細い道路が続きます。
丁度、旧線と新線の間を歩いてるような感じ。生まれも育ちも大津の私ですが、この道路とはじめて出会いました。
いゃぁ。大津の町は深い。もっと路地裏歩きをしてみたいと思います。
(写真がうまく撮れていないのですが 通路から出て写真奥へと進みます。右JR線 左上国道1号)
JR東海道本線の線路沿を南へ。国道1号と国道161号と交差する手前にあるのが「旧逢坂山トンネル東口」
1880年(明治13年)開業
京都方向から走ってきた列車は、このトンネルからにょっきりと顔を出していたのです。
最初に掘られたトンネルは左側、右側は明治30年の複線線化の際に掘られたものです。
トンネルを出た列車は、この先まっすぐ馬場(現膳所駅)へと向かっていました。
晩秋の紅葉と、100年前の鉄道遺産。
すぐ近くの国道はびゅんびゅんと車か走っているけれど、鉄道というものが人々にとって奇異ですらあった時代のものであると思うと、神秘的ものを感じるのです。
馬場駅(現膳所駅)方向へ少し戻ると見えてくるのが煉瓦の壁。
旧線が逢坂山トンネを出て東海道の上を高架で馬場駅に向かっていた時に使われていたものです。
うーん よくぞ残っていてくれた♪
さらに国道161号を進むと、フェンスしたに見下ろせる現在のJRが通る煉瓦造のトンネル?。
と思いきや、こちらは 京阪電車京津線の軌道確保のための跨線橋。
現逢坂山トンネルは、この手前が出口です。
掲げられている写真は現逢坂山トンネル出口から撮影されたものです。
なぁるほど。。
鉄道ファンでありながら、実は知らない事いっぱい、どれを知らなかった? なんて恥ずかしくって言えません。
ぼんやりとした鉄道ファンであったこと、再認識。
いえいえ、やはりなんでも繰り返し接する事が大切な事を感じました。
来年は「大津まちあるき」5周年ということで、記念コースを企画中との事。
ますます 楽しみです。
「京津線編」へと 続きます。
※ブログやっています。
最近は「鉄道ブログ」のようになっていますが、大津の事もところどころ書いていますので良かったら遊びに来てくださいね♪
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