寺田屋お登勢と大津と龍馬 by.yume
2014.03.26
-大津百町古くて新しい大津まち歩き7選-
第5回目 近江&京都龍馬会と行く~ 「寺田屋お登勢と大津と龍馬」
坂本龍馬が襲撃された寺田屋事件の舞台として知られる京都・伏見の船宿「寺田屋」のおかみ=「お登勢」
の実家が、大津百町 丸屋町商店街にあったことが判明、昨年5月に石碑が建てられました。
伏見の寺田屋で裏階段から駆けあがって、危険を知らせた女性が「お登勢さん」?。。
いえいえ、お風呂に入っていて、異変に気づき、裏階段から二階にかけあがってそれを知らせたのは龍馬の奥さん「お龍さん」です。
お登勢さんは、寺田屋のおかみさんです。
丸屋町にある「升屋」という宿の娘として出生、のちに伏見寺田屋に嫁ぎ、おかみとして切盛りをしていました。人の世話をする事が大好きで薩摩藩からも信頼を受けていました。
龍馬もまたお登勢さんを大変信頼していたのでしょう。留守がちになるため、奥様のお龍さんをお登勢さんに託していました。
そんなお話を聞きながら、NPO京都龍馬会理事長の赤尾博章さんのガイドによる「寺田屋お登勢と大津と龍馬」というテーマでのまち歩き。
「龍馬」の、いでたちの赤尾さん。
いかに龍馬を愛しておられるか、熱の入れようがそれだけで伝わってきます。
龍馬が生きた時代、寺田屋おかみお登勢が生きた時代、大津はどのような様子だったでしょう?
大津城はすでに落城していましたが、江戸時代には、大津は幕府直轄地(ちょっかつち)として、城跡は代官所となり、大津百町と呼ばれるまちの繁栄は続き賑わっていました。
現在も浜通りに建つ「彦田稲荷神社」
このあたりは、彦根藩の蔵屋敷があったところで、元はその敷地内に祀られていたと伝えられています。
お登勢さんの実家から歩いて2.3分の所にある九品寺さん。
こちらに、お登勢さんのご両親のお墓があります。
この日は彼岸の中日。
お登勢さんを知る、まち歩き。手を合わさせて頂きました。
「江西山 九品寺(くほんじ)」
九品寺所有の木造観音菩薩立像が国の重要文化財になる見込みです。
九品寺から歩いて10分。京阪電車京津線上栄町の駅の近くにある「本長寺」
ひときわ、背の高いお墓は、大津代官 小野一族のものです。
「升屋」は、宿泊客が役所に提出する訴状などの書類の手配もする公事宿(くじやど)だったので、代官所との関わりも深かったそうです。
ゴールは お登勢さんの実家跡。
先日和菓子ツアーでもお邪魔した光風堂さんとお隣のパーマ屋さんのあたりに、お登勢さんの実家「升屋」がありました。
光風堂さんのすぐ近くにある大津百町館、は明治32年建築の町家。
最後は、こちらで 光風堂さんの和菓子を頂きながら、詳しい説明を聞きました。
このお菓子の銘は、作者:光風堂さんの小南さんによると「桃源」(とうげん)だそうです。
-大津の百町の地が、歴史的に有名な「寺田屋」と関係しているというのは興味深く名誉な事です-
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