ボランティアライターのyume、二回目の登場です。
まだ新人だと言うのに、アイキャッチ画像というものを作って頂きました。
この記事の上にある「ボランティアライター情報」というところを ポチッとクリックして頂くとmocchiさんは桜、私は琵琶湖文化館がアイキャッチ画像となっているのがおわかり頂けると思います。
「琵琶湖文化館」 昭和36年開館です。
物心ついた時から、娘が小さい頃まで幾度となく行きました。
私が生まれて始めて出会ったのが、この「トンボのお城」でした。
幼い時に住んでいた観音寺から琵琶湖文化館まで、まだ自然の残る琵琶湖岸を父に連れられ行った情景は今も覚えています。
あの頃の琵琶湖文化館をご存知の方ってどれくらいおられるのでしょう? 今やネットも若い人だけのものではありませんから、きっと私と同世代。。
いやいやそれ以上の人もたくさん見て下さっていて楽しんでもらえると思います♪
私の記憶をたどってみましょう。
あの頃の目玉は、やっぱり水族館。背の高いほうのお城の一階から入ったでしょうか。いきなり幻想的で、赤い鳥居があったり、階段があったり。
声がやけに響いて 泳ぐお魚さんたちが神秘的に見えたり。。一番上は展望台だったと思います。
低い方のお城とを結ぶ渡り廊下のような所では、県展の作品が展示されていたりして そこに写真が趣味の父の写真が展示されていたり。
いえいえ それだけでなく書道も並んでいました。
そして、一度も連れてって貰った事はなかったけれど、渡り廊下部分はレストランを営業されていました。
今思えば、陸地側がレストランで琵琶湖側が展示スペースだったのかもと思ったりします。
時には、仏像や難しい屏風が展示されていたような記憶がありますが、本来の姿は文化遺産の展示だったようです。
低い方のお城に何があったか、記憶にはありません。
私が低学年の頃には、どの部分にかはわかりませんが、プールがあると聞いていました。 「水が冷たいよ~」と。。
そりゃあそうですね。室内プールです。当時の室内プールは、水道水そのものだっんだしゃないかと思います。
ん? もしかすると琵琶湖から給水していたのでしょうか?
現在は琵琶湖文化館の建物だけが残っていますが、あの頃は湖岸道路からお城までの広い範囲が公園のようになっていました。
大きなまぁるい青い屋根と、それよりちょっと小さいまぁるい青い屋根があって その下にはベンチが並んでいました。 そこでソフトクリーム食べていたなぁ。
当時の「アベック」は夜になると楽しんでいたのでしょうねぇ。。♪
文化館の建物の左の方には四角い形の植物園もありました。一度だけ連れてったもらったかなあ。。
そうそう子供の楽しみは二つのお城の間にある池に居るアヒルさん。。エサをあげるのが楽しかったですよ。。
水族館・アヒルのいる池は、子供達も楽しませてもらってましたから、結構長く続いていたんだと思います。
(閉館時の館内案内版)
名神高速道路大津インターチェンジを降りると真正面に見えるお城。
大津市民や、近隣の人々を十分に楽しませて来てくれたのですか、惜しくも平成20年から休館しています。
とても残念な事ですが、HPは健在です。
あくまで「休館」であるという証である事はとても嬉しいです。
今後、また人々の憩いの場、学びの場として戻ってきてくれる日を楽しみに待ちましょう。
滋賀県立琵琶湖文化館 → http://www2.ocn.ne.jp/~biwa-bun/
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