「近世まで大津は要所であった。」by.黄緑・緑・青緑
2020.03.24
現在放映中の、「麒麟がくる。」滋賀県も度々登場し、観る楽しみも増えています。
先日は、火縄銃で長浜市国友が紹介されていました。
(※国友の資料館は、歴史や火縄銃に興味のある方ならば面白く、勿論訪問済みです。)
それに合わせて、大津・滋賀では、様々な観光誘致策を展開しています。
文化面では、大津市歴史博物館で「江戸時代の琵琶湖水運」を展示中です。
JRの鉄道網の発達により、モノ・ヒトの流れが変わる前まで、
大津は物流・交通の要所でした。
今更ですが、北陸や東海からの物資を京や大坂に運ぶために、
琵琶湖の湖上水運が重要視され、織田信長は長浜城・大溝城・坂本城を築城し、
配下の武将に与え、その中心として安土城を築城し居城としました。
江戸時代になり、大津城⇒膳所城、長浜城⇒彦根城となった後も、
この二つのお城は、それぞれ、湖上・陸上の交通・物流を抑える為に在った事でしょう。
(彦根城の北側は、琵琶湖だった事を、ブラタモリで知りました。)
江戸時代、大津は米の集積所としての役割があり、大坂の米の相場が、
数分後には、大津に届いていた。という話をお聞きした事もありますし、
「麒麟がくる。」初回では、将軍が応仁の乱の戦乱時、近江へ逃げたという逸話もありました。
(※坂本へ逃げ、そこから朽木へも逃げました。)
この、「明智光秀と戦国時代の大津」は1年間展示されるとの事。
自分の住んでいる街の歴史に興味を持ち、途切れ途切れながら、様々な催しに参加し、
知っているようで知らない、大津や滋賀の歴史についての一面を新たに知る喜び。
「麒麟がくる」
架空の物語部分も多いけれど、地元の歴史を学ぶ、いい機会になりそうです。
ボランティアライターの黄緑・緑・青緑です。
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